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とある調理師の物語

2020.11.12

report

以前、就労移行支援事業所時代の3年目頃に支援していたご利用者Xさんのことを書きます(ご本人に許可を頂きました)。

支援を始めてから6年ほど経ちますが、最初に就職のお手伝いをした後、Xさんは3度転職しました。こう書くと転々と仕事を変える良くない話に聞こえますね。確かに良いことばかりではありませんでしたが、僕は、落ち着かない特徴がありながらもセルフケアを発揮して丁寧に仕事や仲間に向き合い、自己選択を続けたXさんを素晴らしいと感じているため、そんなことが伝わるように書いてみます。

Xさんには発達障がいがありますが、フルマラソンを走れてしまうほど体力のある方です。Xさんの困りは人づきあいが苦手なこと。利用初期は他のご利用者とも距離があったように思います。しかしセルフケアを学び、コミュニケーションの重要性に気づいてからは、相手の意見をよく聞き、自分の意見も伝えるようになりました。誰にでも分け隔てなく、前向きな性格もあってXさんを慕う後輩が多くいたことを覚えています。

Xさんは調理師でした。いくつかのお店で働き、どこでも上司から愛されていたようですが、時間を経ると仲間との関係がギクシャクし、徐々に組織内で孤立することから難しさを感じ、辞めてしまうようでした。

「また料理の世界に戻るか、違う仕事をするか」そんな悩みを持っていました。しかし周囲とのコミュニケーションの課題は、料理の世界だけでなく、組織に属するうえでは避けては通れないものですから、いずれにせよ「困ったら共有する」ことや「自分の意見も相手の意見も大切にする」という価値観と行動の仕方を徹底的に鍛えました。
1年もすると「今の自分なら料理の世界でもうまくやれるかもしれない」と自信を回復し、「もう一度料理の世界で働きたい」と言えるようになりました。

Xさんが身に付けたセルフケアのスキルを理解し、ラインケアを提供してくれる実習先や職場を探す必要がありました。そこで僕の大学時代の仲間が経営に参画する大手の食堂運営会社に依頼し、適応できる現場を探してもらい実習を始めました。そこは高齢者施設内の給食施設で、良き上司や仲間に恵まれ、双方が求めたことからそのまま就職することになりました。

【1 高齢者施設内の給食施設】
アシスタントではありますが調理の世界でもう一度働けることはとても嬉しかったと思います。ところが1年も経ったころ、本人から連絡があり転職したいとのこと。話を聴くとご高齢者が食べやすく、誤嚥しないための食の工夫は素晴らしい料理の技術だとは思うものの、もっと一般的な料理の世界で活躍したいと考えていました。

僕は転職推奨派ですが、転職の条件として2つのポイントを伝えています。①能力を発揮し活躍できるようになってから転職すること、②上司や同僚に転職を応援される転職をすること。今回の場合、①は期間的に短いため〇とは言いにくい状況でした。また②に関して上司はXさんの考え方はわかるため本人の意思を尊重するものの、ここで学べる料理の基本はあると諭してくれ、実際に仕事の幅を広げてくれるなどの応援もしてくれました。しかし1年間で自信を付けた(と感じていた)Xさんはチャレンジしたい気持ちが強く、丁寧に話し合いを続けた結果、以前一緒に働いたことのある料理店への転職を決めたのでした。僕は次の新しい職場への定着支援者ではないため、それ以降はXさんからの相談に回答するだけに留め、職場への支援をすることはなくなりました。

【2 以前働いていた都内の料理屋】
新しい職場ではXさんの困りを理解してくれる上司はいるものの、すべてのスタッフが同様とは言えない状況だったと思われます。大変なハードワークで毎日10時間以上就業していました。適宜報告をしてくれるので、その働き方にはリスクがあるは伝えていましたが、本人は問題ないと考えていたようです。セルフケアの意識だけは持ち続けることは約束していましたので、僕はXさんの判断に委ねることにしました。
それから1年ほどたった頃相談がありました。職場の先輩との折り合いが悪くなったとのこと。上司や先輩たちとコミュニケーションは取ってはいるようですが、少しずつ難しさが募っていて、また転職を考えているようでした。

障がい者配慮の少ない組織ではXさんが活躍を続けることは難しいかもしれないという共通見解ができたため、障がい者雇用をしている調理の職場を探しましたが、料理人として迎えながらも障がい者配慮ができるところはそう簡単に見つかりません。そんな中Xさんは継続的に関係を続けていた高齢者福祉の給食施設から連絡をもらいます。その後も心配してくれていた上司が戻ってくることを提案してくれたため、僕は支援してくれる就労移行支援事業所を紹介し、そこから元の職場に復帰することになりました。

【3 高齢者施設内の給食施設(二度目)】
Xさんの人柄もあり以前の仲間たちに歓迎されたようです。当時のやり取りを見ると「再度受け入れてくれたことへの感謝」「自分のことを正しく理解してもらうことの大切さ」「コミュニケーションの重要さ」を改めて感じ、この場で長く働きたいとありました。僕もこれで落ち着くと良いなと思っていました。

しかし、また一年後相談のメールが届きます。仕事を教えてくれていた上司が昇格したことで調理師として学ぶ機会が減ってしまうようです。Xさんは今の現場との関係や働きやすさには満足しているため、調理師としての技術向上をあきらめるかどうかを悩んでいました。「もっと技術を高めたい」その気持ちには揺らぎがないようです。上司や支援者にも相談しながら、転職活動を始めました。求めることは次の2つです。①状態やセルフケアに合わせたラインケアを提供できる職場、②調理師としての技術を高める機会のある職場。今の職場で働きながら焦らず、じっくり時間をかけて仕事を探しました。就活では良いことばかり言わず、離職理由、自分の苦手、必要な配慮そして希望をしっかり伝えます。そんなに簡単には見つかりません。この間何度も相談や、自分の考え方はずれていないか確認をして欲しいとメールをもらい、やり取りをしました。何か月も経ち、遂に希望する職場を見つけたと連絡がありました。

【4 現在の職場】
料理長と採用担当の面接では、精神障がい者の採用は初めてですが、Xさんのセルフケアスキルやコミュニケーション力であれば受け入れたい、やる気があればどんどん調理を任せると言ってもらったそうです。給与も見合ったものを提示されたようです。今までお世話になり、応援されてきた方すべてに報告をして転職をしました。ありがたかったのは二度も応援して送り出してくれた給食施設の方々です。

転職して1週間後に「土日祝日が休みなので、セルフケアもしっかり出来ます。理想的な職場環境で毎日が本当に楽しいです。シェフは有名なホテルなどで勤務されていた方なので、料理のレベルも凄いし人柄もとても暖かい人です。他の人達との関係性もとても良いです。仕事はあんまり頑張るなとも言って頂けていて、とにかく楽しく出来るように周りから応援してもらえています。」とメールが来ました。

仕事中に以前の職場でうまくいかなかった経験に似た場面があり不安になることがあったそうです。そのことをシェフに話したのが数日後になりまりました。シェフは話の内容を受け止めてくれた上で「今までそうやってうまくいかなくなることがあったのではないのか、悩んだり困ったりしたら伝える約束だよね」と叱ってくれたそうです。

さて、今のところXさんの物語はここまでです。ここが最後の職場になるといいなとは思いますが、また「転職したい」とメールが来るかもしれません。それでも僕はXさんが素晴らしいと思うのは、次の通りです。
 1)常に自分の本当の声を聴き続け自己決断をしたこと、
 2)うまくいかない責任を負いながらも前向きであったこと
 3)関わる全ての人に応援される仕事をしてきたこと
 4)あらゆることに感謝していること

転職は必ずうまくいくわけではありませんが、自分の夢に向かって一歩ずつ丁寧に進む人って素敵ですね。

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